2022年5月16日月曜日

5/15こども説教「福音にあずかっている」ピリピ1:3-7

5/15 こども説教 ピリピ手紙 1:3-7

 『福音にあずかっている』

 

1:3 わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、4 あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、5 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。7 わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからである。 (ピリピ手紙 1:3-7

 

 

 【こども説教】

 まず5節で、「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している」と語りかけています。最初の日があり、そして今のときがあります。この上田教会にも最初の日があり、150年近くもの長い長い時間が流れ、多くの人たちがここで神さまを信じる信仰を与えられ、養い育てられつづけてきました。また、ここに集まっている1人1人もそうです。それぞれに、神を信じるようになった最初の日があり、神の国の福音にあずかりつづけ、それぞれに長い時間が流れ去りました。そして今もなおこうして、神を信じる者として暮らしつづけている。そのことを思い起こして、喜び、神に感謝しています。神さまこそが、それを成し遂げてくださったと知っているからです。

 6節、「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」。誰かが、あるとき、神さまのことを知った。やがて、その神を信じて生きることをし始めた。その人は、神の国の福音にあずかりつづけて生きてきた。しかも、そうはならない場合もありえました。途中で、道を逸れてしまい、神さまから遠ざかってしまう人たちもいるからです。けれどそうはならずに、神の福音にあずかりつづけている。それは、神さまがそうしてくださったからです。神さまこそが私たち1人1人の中にも『神を信じて生きることができる』という格別に良い働きを始めてくださった。それを、必ずきっと神さまご自身が成し遂げてくださる。そう確信しているし、信じてもいるので、願い求めつづけています。私たちもそうです。

 

 

 【大人のための留意点】 祈りについて

問い 祈りは本当に聞かれるのでしょうか。

答え 聖書には、「何事でもわたし(=主イエス)の名によって願うならば、わたしがかなえてあげよう」(ヨハネ福音書14:14とありますし、「求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ」(ヤコブ手紙4:3)と書いてあります。

問い では、正しい求め方というのは?

答え 祈ることによって、わたしたち自身が変えられなかったら、そして神さまの御心に近づいてゆくのでなかったなら、神さまの御名によって求めたことにはならないのではないでしょうか。イエスさまもゲッセマネで、「しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」(マルコ福音書14:36と祈りました。また『主の祈り』では、第一に「み名をあがめさせたまええ」と祈り、第三に「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るようにと命じられています。そのことによって、神さまが大きくされるような祈りこそ、正しい祈りと言えましょう(『喜びの手紙 ~ピリピ人への手紙による信仰入門~』蓮見和男、新教出版社 1979年,該当箇所)